六章

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 朝日が完全に昇り、家族揃っての最後の朝食をとり、簡単な身支度をした後、笹野が玄関先に車を持ってくる。 「それでは皆様、今まで大変お世話になりました」  車に乗る前に、華生は丁寧に腰を折った。涙ぐんだ瑛子が彼女に勢いよく抱きつく。 「幸せになってね。華生さん!」  華生が瑛子を同じ力で抱きしめ返した。 「ありがとうございます。お母様、私いつも朗らかなお母様が大好きでした」 「私も大好きよ、華生さん」  瑛子の華生を包む手が強くなる。華生は瑛子の腕からひょっこり顔を出して、先ずは成親を見た。 「お父様、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません」  成親は長男そっくりの仏頂面のまま言う。 「……落ち着いたら遊びに来るといい」  華生の顔が薔薇色に染まった。 「ええ、是非……!」  成親が咳払いをしたのを満足そうに見届けると、華生は隣にいた弘海に笑い掛ける。 「弘海兄さん、兄さんはいつも優しくて会うと安心できました」  弘海は寛いだ笑みを浮かべた。 「華生は頑張り屋で、俺の自慢の妹だったよ」  華生は緩くはにかんで、視線を玄関先に飛ばした。 「風恒兄様! ……またお会いしましょうね」  少し離れたところで車を眺めていた風恒は、華生に呼びかけられ目を(またた)かせた。しかし何も返事をせずに、さっさと家の中に入ってしまう。 「一彬兄様」  華生は瑛子から離れると、腕を組んで立っていた一彬の前に進み出る。瞳は晴れの日の夜空のように澄んでいた。 「……本当に、言葉にできないくらい感謝をしています。どうか、ご達者で」  華生の顔には、一片の曇りも見えない。一彬は煙草に火を点けながら一言だけ言った。 「体調に気をつけるように」 「はい。兄様も、御自愛ください」  もう一度深々と礼をして、華生は颯爽と車に乗り込む。一度も振り返らなかった。 「笹野さん、お願いしますね」 「はい、お任せいただけるなんて光栄ですなぁ」  笹野がのんびりと言いながら、サイドブレーキを引く。  車に揺られる華生の横顔は、庭に咲く寒椿のように高潔として、凛々しかった。
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