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ちょうど時計が正午をまわった頃だった。インターホンが鳴ったので華生が出てみると、懐かしい人が顔を覗かせた。
「笹野さん!」
華生は玄関を飛び出したが、いつも穏やかだった嶋木家の運転手は思い詰めたような顔で立っている。
「突然すみません、華生さん」
「どうしたんですか?」
華生は笹野の異変に気付いて眉尻を下げた。彼は華生の視線を受け、居心地悪そうに口を開く。
「実は……一彬坊ちゃんが、過労で病院に運ばれて……」
後ろ頭を鈍器で殴られたような感覚だった。彼女の身体はわなわなと震えだす。
「うそ……兄様が?」
仕事仕事仕事で、自分のことにはてんで無頓着。よくよく考えれば、今までそうならなかったことの方が不思議な話だった。
「病院に連れて行きます。早く行きましょう」
笹野の焦れた声を聞くと、彼女は少し落ち着きを取り戻す。
すぐに車に乗りたいのはやまやまだけど……。
華生は一度だけ深呼吸した。
「わかりました、10分ください。すぐ準備します」
華生は自室に走り、愛用の鞄を掴む。そして鏡台の引き出しを開け、大きな蝶のバレッタを取り出した。ヘアゴムでハーフアップを作り、ゴムの上にそれを取り付ける。
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