終章

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 一彬が「嶋木(しまぎ)を出て行く」と言った時のことである。  新聞を読んでいた成親(なりちか)は、気怠そうに煙草の煙を吐きながら言った。 「そもそも俺は、お前に家を継げと言ったか」 一彬は眉を潜める。 「俺は長男だぞ」 「だからどうした」 「弘海(ひろみ)はうちに入る気がないぞ、風恒(かぜつね)は論外だ」 「確かに俺は親父から会社の経営権を引き継いだが、うちは別に親族経営じゃないぞ」 引き留められたい訳ではないのだが、一彬だって暗に「お前が社長でなくてもいい」と言われるとそれはそれで気に入らない。 「そもそもお前、いい加減身を固めなくていいのか」 一彬の目が大きく開く。人の気も知らずにあんまりだ。 「嶋木の経営が傾いた時俺が既婚だったら困るだろう」 成親は「意味がわからん」と首を傾げた。しかし、彼の言いたいことを理解すると「ああ」と声を漏らす。 「寝ぼけたことを。例えそんな状況になったとしても、お前なんか差し出したら相手側から苦情になる。弘海ならともかく」 人当たりの良い次男なら話は違っても、冗談の一つも言えない一彬なんかと結婚してもらったところで三行半(みくだりはん)待ったなしである。 「そうよ、華生さんに結婚してもらいなさい。一彬さんみたいな朴念仁、華生さん以外は耐えられないわよ」  ひょっこり現れた瑛子(えいこ)がずけずけ口を挟んだ。一彬が睨むと彼女は「ほらまたそんな怖い顔して」と言い残し、そそくさと逃げて行く。 「お前『自分を切り札に』とか思ってたなら、花婿修行の一つでもやっておこうと思わなかったのか。華生嬢よりよっぽど必要だろうが。もうお前は相手がいないから華生嬢に引き取ってもらえ」 成親はしっしと一彬を追い出すように手を払った。 「迷惑かけて面目ない」という言葉は、無用だったらしい。一彬は舌打ちしながら言った。 「お前たち、会社がどうなっても知らんからな」 「……一彬」 へそを曲げて出て行こうとする長男を、成親が呼び止める。 「まだ嫌味を言い足りないのか」 成親はようやく新聞から目を上げ、煙草を灰皿に押し付けながら話し始めた。 「お前には……幼い頃から、随分辛酸を舐めさせたな。よくもまぁ、ここまで嶋木の為にやってくれた。息子としての可愛げは無いが……三人いる俺の息子の中では、一番報われて欲しいとは思っている」 「もっと感じの良い顔で言えないのか」と思いつつ、一彬は自分そっくりの仏頂面に向かって捨て台詞を吐く。 「……俺は会社の為に己を犠牲にした親父を、仕事人として尊敬していた。確かに辛酸は舐めたが、それで得た物が無かった訳じゃない……もう、会社を潰しかけてくれるなよ」
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