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 私が高校の教師になったのは一九八〇年代、時代は昭和であった。この時代はまだ教師ものどかで、学校が「ブラック」と呼ばれる現代とは全く違っていた。ブラックどころか「教師より楽な仕事はない」とまで言われていた。しかし、この時代には既に現代の教育崩壊の序曲が始まっていた。それは「校内暴力」と「いじめ」である。だから高校で何が行われたかというと、中学での校内暴力といじめを忘れさせるための徹底した「管理教育」であった。    (ア)管理教育。  私が初任校に赴任してからすぐに東京都富士見中学で今の「いじめ」の原型とも言える「葬式ごっこ事件」が発生した。そして、中学校は今の小学校の学級崩壊の原型といっていいのか、校内暴力が多発していた。そこで高校で行われたのが徹底した管理教育であった。  私が赴任したのはこの「管理教育」の最先端を行くような学校であった。校則が厳しく、生徒が喫茶店に入ることも禁じられていたし、自転車の並進などをやれば自転車を取り上げていた。女子のスカートは膝下十センチ、男子のズボンはワンタックまでと決められていた。新設校でもあったので特に厳しい管理が行われていたのである。私はこの学校で8年間の教師生活を送った。  このように生徒に対しては厳しかったが、教員に対しては甘かった。例えば定期考査中は教員も堂々と早く帰ることができたし、夏休みも部活動以外にやることはなかった。だから部活動のない日は「研修」という名目で堂々と休むことができた。  また、どこの学校も組合(兵庫県では高校の場合は共産党系の高教祖、小中学校は社会党系の日教組)が強く、教員の五十%以上は組合に加入していた。また、この組合は平気で違法ストを行った。私も違法ストに参加して訓告をくらったことがある。  とにかく高校の現場では中学校の校内暴力を思い出させまいとするための涙ぐましいまでの管理教育が行われていた。これは私が赴任した学校がたまたまそういう学校だったでけかも知れないが、「管理すること」は必要だと考えられていた。そして、かく言う私もそのやり方に完全に賛同していた。  私がこのような管理教育に完全なまでに賛同していたのには理由がある。
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