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本文1
「ドキュメント・学校」
学校という所は完全な閉鎖空間である。そこで何が行われているのか、意外と知っているようで知らないことが多い。日本人ならば誰もが生徒・児童として学校を経験している。しかし、教師の立場で経験したと言う者からすれば、それは学校の一側面しか知っていない。学校と言うところは魑魅魍魎の棲む世界である。虚勢を張りたい盛りの男女を一カ所に閉じ込めておくのだから、それはまさに野獣の檻で無法地帯である。いじめが日常茶飯事のように行われ、中にはそのいじめを苦にして自殺する者までいる。そんなに命をかけてでも行くような所だろうか?三十一年という期間教師をやってきて定年を待たずに退いた元教師の率直な感想である。自殺するぐらいなら不登校をすべきだ。学校なんか命をかけてでも行くような所ではない。多分、あなたがいじめを苦にして自殺でもしようものなら学校は総力を挙げてもみ消しに走るであろう。そして校長の「本校にはいじめはなかった」の一言で片付けようとするだろう。こんな所に命をかけるくらいなら不登校を選び取るべきだ。
また、多くの教師の考えていることは保身である。苦労して公務員になったからには定年まで勤め上げて退職金をがっぽりともらい、年金で豊かな老後を送りたいと思っているのが常だ。そもそも、こんな連中を「先生」なんて呼ぶことには首をかしげてしまう。この世にはなにゆえに「先生」と呼ばれているのか意味不明な者もいる。大体、弁護士や医師などの、所謂士業の人達は「先生」と呼ばれる。しかし、ただ教員試験を通っただけの教師を「先生」と呼ぶのには首をかしげざるを得ない。確かに、生徒にとっては「先に生まれた」人なので「先生」なのだろうが、教員どうしで先生と呼び合ったり、親が教師を「先生」と呼ぶのは何か冗談めいていて滑稽でさえある。
とにかく、学校は生徒と教師、そしてその裏に保護者や教育委員会などがいて成り立っている。その全貌を私自身の体験から時代を追って話そうと思う次第である。
1.一九八〇年代の学校
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