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【一】
1578年、秋――
大和国と京の境目に隠棲する人々がいた。
彼らは柳生一族と呼ばれ、伊賀の忍びとも縁深く、高度な戦闘能力と情報収集力により活躍した。
何故武勇に優れた彼らが突如、山里に帰参し隠れ住んだのだろうか――?
閑話休題、今ここに訪問者がいる。
彼の体は筋肉質で、身の丈は六尺を優に超えようかというほどの無骨な風貌に、質素な木綿の法衣を纏い編笠を被っていた。
大和国興福寺に連なる『宝蔵院』の僧衆、宝蔵院胤栄である。
胤栄は手製の三日月型の槍を左肩に携え、緑々とした小道を進んで行った。
もみじ橋と呼ばれる場所に差し掛かる。
もみじ橋とは現代の奈良県奈良市にあるアーチ型の橋で、鮮やかな朱塗りと山々のコントラストが絶景の場所である。
一歩一歩大柄な足を踏みしめて歩く胤栄のそのさまは、五行に例えるならば土だ。
長年の友人との再会に懐かしさを覚えつつも、己の衿持を自戒するかの様に、一歩一歩着実に歩く。
何ものにも揺らがず、ただただ己の務めを果たす。胤栄とはそういう男であった。
さて、胤栄が鮮やかな橋を渡り終えてすぐに、人の住む屋敷が見えてきた。
その草庵風の建物は、全体の頑強さと精密さから一目で“建築のプロ”が指南したのだと分かる。
だが屋敷の周りは雑草が無造作に生え、何の手入れもされていない事が見て取れた。
胤栄は屋敷の戸を叩いた。コン、コン、と木造の音が鳴り響き、程なくして扉の向こうから屋敷の主が顔を出した。
この屋敷の主こそ、大和国と京の境目の国――『柳生の里』の長、柳生石舟斎宗厳であった。
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