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深夜のタクシー
残業で、電車には間に合ったけれど最終のバスを逃し、仕方なくそこからはタクシーで帰ることにした。
最寄り駅の乗り場に並び、順番を待つ。
バスのある時間はずらりと並んでいるタクシーが、この時間は総て出払っていて一台もいない。
私の前に並んでいる人は四人。全員一人ずつの利用のようだから、私は五番目に戻って来たのタクシーに乗ることになるだろう。
乗り場から、車上のランプを目印にタクシーが戻って来るのを待つ。一台、二台…戻って来るタクシーに前の人達が一人ずつ乗り込む。
いよいよ次は私の番。そう思い道路を眺めていたら、一台のタクシーがすぐそこに見えている交差点で赤信号に引っかかった。
何故か、そのタクシーを見た途端、私の全身に悪寒が走った。
あのタクシーはダメだ。あれには絶対に乗ってはいけない。そう本能が告げる。
あのタクシーが乗り場に来たら後ろの人に順番を譲ろうか。でもそんな不審な真似をしてもいいものだろうか。
葛藤している間にタクシーは乗り場に現れ、後部座席の扉が開いた。
「おい! 急いでるんだ! 先に乗らせてもらうぞ!」
突如少し離れた位置からだみ声が響いた。
たった今乗り場に現れた男性がそう怒鳴り、私を押しのけるように強引に今やって来たタクシーに乗り込む。
タクシーが走り出すと同時に、列に並ぶ人達の中から、今の男性の非常識ぶりを非難する声が洩れたが、私は心の中で安堵していた。
今のタクシーに乗らずにすんでよかった。
でも、どうしてあんなにあのタクシーを嫌だと思ったのだろう。
…その答えはすぐに出た。
割り込みの男性を乗せたタクシーが交差点を左に曲がる。それと同時に、今の今まではっきりと見えていたタクシーが姿を消したのだ。
誰も騒がないから、今の光景を目にしたのは私だけだったのだろう。でも気のせいじゃない。私は確かにあのタクシーが消えるのをこの目で見た。
心の底から思う。あのタクシーに乗らずにすんでよかった、と。そして、きちんと順番待ちをしている後ろの人に待ち順を譲っていたら後味が絶対に悪かっただろうから、あの非常識な男性が割り込みをしてくれてよかった、とも。
深夜のタクシー…完
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