3.個室での食事

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「分かっています。お二人は本当にお優しい方々ですから。でも、そうじゃない人もいるんです。今のお店に移る前に働いていた店で私の昔のことを知っていて自慢げに言いふらしたお客がいたの、それでそこをやめたの。悲しくて、悲しくて泣いたわ、もう私はまともには働けないのかと思って」 「とんでもないやつだ。男の風上に置けない、優しさというものがない」 「だから、私はお付き合いするのを迷ったの、あなたに迷惑がかかるといけないと思って」 「僕はそんなこと百も承知で付き合ってくれと申し込んだので、迷惑がかかるなんて思わなくていいから」 「私はいつも自分の過去に怯えて生きているの、今日もこの部屋に入るまでは誰かに声をかけられないかとおどおどしていたの」 「どうしてあげたらいいのか分からないけど、仕事も見た目も、もう昔とすっかり違うのだから、自信を持って知らん顔していればいい。気持ちをしっかり持って」 「なぜ、それまでして私のことを思ってくれるのですか」 「君には今まで言わなかったけど、そしてこれを聞いても気分を害さないでほしい。君は僕の亡くなった妻にそっくりなんだ。まるで生き写しなんだ」 「そうなんですか」 「10年前、僕は突然妻を失った。乳がんが見つかったが手遅れだった。妻とは同級生で学生結婚だった。卒業してすぐに妻が妊娠して娘が生まれた。僕たちは幸せだった。共働きをしたが、家庭と仕事を両立させて申し分のない妻だった。でも妻は早死にしてしまった」 「いい奥様だったのね」 「神様は彼女によいところをいっぱいお与えになったが、長い寿命はお与えにならなかった。死ぬ直前、あなたの妻になって幸せだったと言ってくれた。それだけが僕の慰めになった。僕は泣いて諦めるほかなかった」 「諦められたの?」 「その時思った。神様はすべての人に幸福と不幸を平等に与えているのではないだろうかと。楽しいことをだけでなく、悲しいことも必ず与えているんだと、それを定めとして受け入れて、諦めるしかないのだと」 「そうかもしれませんね」
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