日曜の午後、あんずジャムなしザッハトルテ

5/5
前へ
/5ページ
次へ
 私たちは再び、タカヒロの部屋のローテーブルの前に座った。 「わー、ほんとおいしそう。今、お茶入れるね」  私はふたつのカップに、ティーポットから紅茶を注ぐ。別世界のようにいい香りが、私たちを包んだ。 「タカヒロ、このケーキかなり練習したんじゃないの?」 「した。でも、今日のために繰り返し練習したのはこのケーキだけだ」  ん? どういうこと? と私はタカヒロの顔を見た。眼鏡の奥の黒い瞳が、まっすぐに私を見ている。 「ずっと夢だったんだ。あの紅茶店でお茶を買うのも、かわいい彼女をこの部屋に呼ぶのも、その彼女にお茶を入れてもらって、俺はケーキを作って、二人で食べるのも。そして、……それがカナなのも。全部、今日初めて叶った夢」  お茶を注ぎ切ったまま、私の手は空中でティーポットを持ったまま固まってしまった。  きっと、またひどく赤面しているに違いない。とても間の抜けた顔をしているかも。 「だから記念日っていえば記念日だけど、今言った全部の記念日だから。好きだよ、カナ。今日はありがとう」 「い、いえ……どういたしまして。こちらこそありがとう……ございます」  なんで敬語なんだよ、とタカヒロが笑う。  いただきますと二人で言って、私たちはお互いにかわいたのどを紅茶で潤してから、銀色のフォークでケーキを切り、口に運んだ。  甘い。と思う。  かなりおいしい。気がする。  でも、よく分からないような感じ。  あたたかくていい香りの紅茶に包まれて、ふわふわと空を飛んでいるみたいだった。  日曜午後、あんずジャムなしザッハトルテ。  なんと言って褒めればいいのか分からないまま、私は、眼鏡の向こうの微笑んだ黒い瞳を見つめていた。 終
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加