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とある弓師の物語 第四話~小さな優しさ~
「おーい、仕事引き受けて来てやったぜー」
底をついて来た路銀稼ぎの為、仕事を探す約束をしていたソラスは、宿で待機していたリッカの元へと戻って来た。
とうとうやる気を出してくれたのね!と、リッカが瞳を輝かせるかと思いきや、彼女の目は呆れたような半目だった。
「ソラス、そちらの方々は…どちら様?」
そう言った彼女の言葉に、ソラスは頭を掻いて答える。
「はあ?客だよ客」
ソラスの後ろには三人の女性の姿があり、皆、小綺麗な格好をした、恐らくは酒場の娘達であろうと思われ、リッカは一応、彼に問い掛けた。
「お客様は、どういったご依頼でいらしたの?」
「決まってんだろ?俺様と一人一時間、一万クリソスでいい事してやろうと…」
リッカは引き攣った笑みを浮かべ…
「ソラス様?ちょっと、お顔を貸して下さる?」
「何だよ、気持ち悪い…いてててててッ!」
リッカはソラスの耳を引っ張って女性達の元から少し離れると、小声で口を開いた。
「何を考えてるの、この甲斐性なしッ!」
「あ?オメーが仕事取って来いっつーから取って来たのに、何だよ、その態度はー」
「えっちな事してお金もうけなんて誰がしなさいと言いましたかッ!」
「ちゃんと体張って仕事しようとしてんのに何が悪い。やる気を削いでくれるよなー、お前ってホントー」
「もっと別の、まともな仕事があるでしょう!?貴方だって魔物退治の一つや二つすぐに取って来れるって言ってたじゃない!」
「そうだよ、人肌恋しい女達の心の闇、即ち心の魔物を、俺様がぎゅーっとして気持ちよーくして、退治してやろうっていうね」
「私がまず貴方自身を退治する必要があったみたいです」
「いえ、すみませんでした。俺が間違ってました」
リッカの怒りメーターがそろそろマックスになりそうだと察したソラスは渋々と女達を帰らせた。こちらを睨み付けて帰っていく女達から目を逸らして、リッカは溜め息を吐き言葉を次いだ。
「もういいわ、私が一つ、仕事を引き受けているから」
「はあ?なんの仕事だよ」
怪訝な顔のソラスが問い掛ける。
「大毒刃蜂が、依頼人さん家の納屋に巣を作ろうとしているみたいだから、それを退治して欲しいって」
大毒刃蜂という魔物は、体調1メートル程ある巨大蜂で、その尾に付くのは針ではなく、まるで剣のような鋭い刃が特徴であり、またその刃には毒があるという。
その姿を想像しながら、ソラスは面倒そうな顔で首を左右に振った。
「冗談だろ、大毒刃蜂に斬られたら一瞬であの世行きだ。俺はごめんだね」
「そう、ソラスがやらなくても、私はやるわ」
「は?いやいやいやいやいやいや、オメーはどうやって戦うつもりだ?レイピアもまともに使えねぇヤツがよお。危ねぇから、やめとけやめとけー」
勝手に家から持ち出して来た父親のレイピア。勿論、故郷にいる時は実家の酒場を手伝うただの町娘だったリッカは、子供の頃に学校で護身程度の扱い方を習っただけ。レイピアをまともに扱う事など出来る筈もなく、結果ただ振り回しているだけ、という現状である。だが、依頼を引き受けた以上はやり遂げなければと、リッカは言葉を次いだ。
「もう引き受けているんだから、今更断れないの。約束の時間は三時間後よ。町外れの家だから、行ってくるわね」
「マジかよ…」
やる気に満ちたリッカとは逆に、ソラスは引き攣った顔で肩を落とした。
―――――――――
依頼人との約束の時間。リッカは現地へ早足で進んだ。その口からは、大きな溜め息が漏れる。
「はあ…呆れた…」
一緒にいる筈のソラスの姿はここになく、リッカは出掛ける前に宿で昼寝をしていた彼が言った言葉を思い返しては腹を立てていた。
『ほんっと、マジで勘弁。俺、まだ死にたくねぇし、危ねぇ魔物とやりあうのは無理だわ。つー訳で、その仕事パスね』
ソラスに、強制的にでも仕事をさせようと思っていたリッカは、彼が一緒に来てくれるものだと、たかをくくっていた。しかし、まさかの結果に、リッカはやりきれない気持ちに支配されていた。
「少しでも、ソラスは昔の優しいソラスのままだって、信じてた自分が馬鹿だった!」
思わず声に出して愚痴をこぼしたリッカ。そうしている内に、いよいよ依頼人の家へと到着してしまった。彼女の姿を心待ちにしていたのは、一人の老婆である。
「娘さん、来てくれたんだね!おや?連れにもう一人、男の人がいるって言ってなかったかい?」
リッカは苦笑いを浮かべて、老婆の問いに答えた。
「それが、事情がありまして…私一人でも、駆除してみせますので、お任せ下さい」
老婆の表情は不安げなものに変わる。
「大丈夫かい?大毒刃蜂は狂暴だよ?娘さん一人じゃ…」
「いえ!このレイピアで、一刺しですから!大丈夫です!お婆さん、問題の場所へ案内して頂けますか?」
そんな老婆を安心させようと、リッカはレイピアを手に勇ましい顔でとんと胸を叩いた。
老婆の後に続いた先、リッカは庭の大きな納屋の入り口へ往き来する魔物の姿を認めて目を見開いた。
「うわー…大きい…」
話には聞いていたが、実際にこの魔物を目の当たりにするのは初めての事で、リッカは突如、不安に駈られた。
―――大毒刃蜂に斬られたら一瞬であの世行きだ。
ソラスの言った言葉が頭の中で甦る。リッカは恐怖を払拭しようと首を左右に振り、再び魔物に目を向けた。
「…巣を作ってるのは一匹だもの、隙をついて攻撃すれば、一匹くらいなら私でも倒せるわ」
見ていると、巣を作っているのは一匹だけの姿しか見えない。リッカは老婆に下がっていて貰うよう伝えると、隙を窺いつつ一歩一歩前へと歩み出た。魔物が作りかけの巣へ向かって、こちらに背を向けた瞬間…
「今!」
リッカは全力で走りレイピアを振りかざした。
――グギャァアア
一撃に集中したリッカの攻撃は見事に魔物の急所を貫き、大毒刃蜂はずしんと地面に巨体を落した。
「や…やった!」
リッカは動かなくなった魔物を見て、その安堵からか強張っていた足から力が抜け、その場に腰を落としてしまった。しかし…
「娘さん!後ろ!」
老婆の焦りの声が聞こえ、リッカは言われるがまま振り返った。
「え?」
彼女の目に飛び込んで来たのは、どこで様子を窺っていたのか、先程の大毒刃蜂の仲間であろう五匹が襲い掛かって来る姿だった。
「そんな…」
リッカは足が震えて動けず立てないまま、目前に迫る魔物に目を大きく見開くしかなかった。一斉に魔物が迫り来ると、リッカの頭に死が過る。固く目を瞑れば、その一瞬の間に浮かんだのは、ろくでもない幼馴染の姿だった。
「ソラスッ!」
そうリッカが叫んだ直後、ぼとりぼとりという重たい音が彼女の傍で聞こえた。己に衝撃が来ない事に気付いたリッカは、ゆっくりと閉じた瞳を押し上げる。
「こ、これは…」
目の前には地面に転がった大毒刃蜂数匹。それらは、矢で急所を確実に射止められていた。リッカが呆然としていると、面倒そうな声音が近付いて来た。
「チッ…肩凝っちまった…」
顔を上げたリッカの目には、先程一瞬脳裏に過った男の姿。
「ソラス…?」
得意の弓と矢筒を持って、何だかんだ言いながら後を着いて来ていたのだと、リッカは瞳に涙を溜めて笑みを浮かべた。そんな彼女の顔を見たソラスは、げんなりした表情で声を上げる。
「うげぇ、お前!泣くなよッ!涙とか溢すなよッ!堪えろよッ!」
「何よ!泣いてなんかいないわ!ちょっと、安心して力が抜けただけよ!」
もし、彼が来てくれていなかったら、己はこんな風にソラスと言い合う事も出来なくなっていただろうと、リッカはぞっとした。
そうして、無事に仕事を終えたリッカとソラスは、依頼人の老婆と向き合っていた。
「ありがとうね、お二人さん。これはお礼だよ、主人も亡くなって、うちには若いのがいなくてねぇ、おたくらが満足のいく金額は払えないけど、受け取っておくれ」
老婆が小さな麻袋を差し出すも、リッカは眉を下げて、それを受け取れずにいた。
「おばあさん…」
そこで、老婆から奪い取るように麻袋を手にしたのはソラス。彼は早速と中身を確認し、銀貨三枚だった事に溜め息を吐き、老婆に半目を向けた。
「何だよ、しけてんなー」
「ソラス!そんな言い方!」
リッカが目を吊り上げると、ソラスは麻袋を老婆に押し付けるよう返した。
「いらねぇよ、これっぽっちの金。それより、そこの納屋の奥に見えるワイン、そいつ一本が報酬って事で良しにしてやんよー」
「こら!厚かましい事言わないの!」
リッカの制止も聞かず、ソラスはそそくさと納屋へ向かい、一番手近にあったワインボトルを一本手に取った。
「んじゃ、貰ってくぜー、バアサン」
ひらひらと手を振り、ソラスはリッカを待たずに歩き出した。
「ちょっと!ソラス!勝手に持って行くのはおよしなさいよ!」
リッカが引き留めようと声を上げれば、老婆は彼女の手をそっと握り止めた。
「良いんだよ、娘さん」
「え?でも、おばあさん…」
「ほんに、お優しい若者じゃな」
「?」
老婆がソラスの背に向ける瞳は優しいものだった。
「安物のワイン一本で良いなんて、銀貨三枚あれば、あのワインよりも余程良いものが買えるだろうに…」
「…」
老婆は心底嬉しそうに頭を下げた。
リッカは、そんな老婆の姿を見て小さく笑みを浮かべると、別れの挨拶をしてからソラスの背中を追った。
―――――――
「クーリッシュマスカットワイン…ソラスが言うところのジュースみたいなワインだけど、私はこれ、甘くてコクがあるから好き」
夕暮れの帰り道、ソラスが持つワインボトルをよく確認したリッカは、楽しげに笑ってソラスの横顔を見上げた。
「ワイン一本で良いなんて、どういう風の吹き回し?」
ソラスはリッカを一瞥すると、ふてぶてしい様子で口を開いた。
「はあ?オメーがこないだ、俺の命の水を捨てちまったからだろーが。金より酒だ!!」
「ふふ…」
肩を揺らして笑うリッカに、ソラスが珍しく真面目な様相で口を開く。
「リッカ」
「うん?」
「お前なあ、テメーの技量考えて行動しろよ。お前みたいなヤツが、一人で魔物を相手にしようなんて、命知らずの馬鹿野郎同然だぜ」
ふいと顔を逸らしたソラスの顔は不機嫌だった。リッカは、そんな彼の言葉に控え目に口を開く。
「…どこかで信じてた」
「はあ?」
「ソラスが来てくれるんじゃないかって」
それを聞いたソラスは虚ろな瞳を夕陽に向けて、面倒そうに頭を掻いた。
「…俺の事、過大評価してっと痛い目みるぞ」
「んーん…やっぱりソラスは…」
昔の優しいまま。そう言おうとしたリッカだったが、恥ずかしさも手伝ってか素直に言葉が続けられなかった。
「あ?なんだって?」
怪訝な顔でソラスが問い返すも、リッカは首を左右に振る。
「んーん!何でもないわ!今日はありがとう、ソラス」
リッカの満面の笑みに、ソラスはほんの一瞬見惚れたのか、それにはっとした彼は咄嗟に顔を逸らした。
「ありがとうって思ってんなら、酒、用意してくれよ、とびきり美味いやつ」
「ちゃんとした仕事、ソラスが終えてくれたらね?」
「チッ…可愛くねぇ」
ぼそりと言ったソラスの言葉に、リッカが小さく笑う。二人は並んで宿までの帰路を辿った。
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