善と悪の死生.

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善悪はない。 善悪とは人間が決めた概念に過ぎない。 それは詭弁であり、傲慢である。 死にたい人間は死なせればいい。 死にたい人間に生きろと言うのは 生きたい人間に死ねと言ってる様なものだ。 死は悪では無い。 死んだら人では無くなる。 何もない。ただ何もないのである。虚無だ。 だから死にたい人間は死なせてあげるべきだ。 何故止めようとする。 死ぬ事くらい自分で決めさせろ。 死は死でしかない。 死んだ世界など誰にも分からない。 何故なら死んだ事が無いからだ。 考えるだけ無駄だ。 虚無でしか無いからだ。 古人曰く、死は無意味と論じた。 併し、定かだろうか。 死が無意味だとしたら、生きる事には、 何の意味が有り、 何故生きるという価値があるのか。 死んだらお終い?馬鹿な。 いずれ死ぬ事は誰にでもある。 つまり、生きている事も無意味ではないか。 生きているから意味を見出せるだとか、 生きる事に価値はあるだとか、 くだらない。 死者は死者になった上で価値がある。 有名な人もそうであろう。太宰、川端、三島、 芥川、など。 死んだからこそ、 価値が高くなり有名になったのだ。 意味が無いのはなんであろう。 死か生か。 この仮定を生み出しても何も変わらない。 併し、考える事しか私には意味を見出せない。 皆は思うだろう。 亡くなった。悲しい。 亡くなって、 初めて悲哀と憐憫というものを感じるだろう。 なら、ならば、 生きていてあまり意味はないのかもしれぬ。 畢竟、意味とは何であるのか。
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