「世界の果てで、君と」

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 ぼんやりと周囲に視線を泳がせていた誘は、ふと右手に、冷たく柔らかい感触を覚えた。視線を那美に戻すと、彼女は両手で彼の手を優しく包み込んでいた。  那美の翡翠の瞳が見つめてくる。  口を開いたのは、ほぼ同時だった。 「おはよう、那美」 「おはよう、誘くん」  にっこりと、二人は微笑みあった。そしてにっこりとしたまま、沈黙を守った。  その沈黙は幸福に満ちていた。朝のまどろみ、生クリームたっぷりのケーキ、夜想曲を静かに奏でるピアノ。今では滅び去ったそれらを、パテで塗り込めて一緒くたにしたような、欲張りな多幸感。  誘が沈黙を破った。 「さっき、ここまで来た道が崩れたよ。この浮島が最後の地になった」  那美が、衰弱した蒼白な顔に微笑を浮かべた。一語を発するのですら大儀そうだ。 「そう……それなら私達にも、さよならの時がやってきたのね……」 「今更、那美とお別れする気なんてないよ」 「ふふ、ありがと、誘くん。ねぇ……」  那美は、起き上がった。そして、内気な幼な子が遠慮がちに親に甘えるように彼女は言った。 「ねぇ、誘くん。私を抱っこして。とっても寒いの……」  誘は言われるままに、那美の細い体を抱き寄せた。両腕を彼女の背中に回して、あたかも精緻な氷の彫刻を溶かしてしまうのを恐れるかのように、那美を優しく抱き締めた。  那美も、誘を抱き締めた。その腕にもはや力はなかった。誘はそれが無性に悲しかった。 「そうだ。誘くん、こうしてあげるね」  ふわりと背中の翼を広げる那美。それを器用に折り畳んで、優しく誘を包み込んだ。 「あったかいね、那美。君の体も、君の翼も」 「誘くん、あなたは熱いね。あなたの心臓の鼓動も、あなたの血の奔流も、全部分かるわ」  無言で抱き合う二人。いずれ、この浮島もきっと崩壊する。その時は遠くない。  かまうものか。誘はそう思った。このまま浮島が砕け散って、赫奕(かくやく)たるエネルギーが渦巻く暗黒の空間へと放り出されても、もう那美のことは絶対に手離さない。  さよならなんて、誰が言うものか。  誘は、これまでのことを万感の想いと共に思い出していた。
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