プロローグ 〜里菜〜

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プロローグ 〜里菜〜

 鳥居へと続く階段は、すっかり暗闇に囲まれていた。  それはただ日が落ちていたからという理由だけではなく、その天気も理由のひとつだった。夜空は今にも泣き出しそうなくらい、すっかり分厚い雲に覆われている。地面の方は湿度が高いのせいだろうか、うっすらと霧が辺り一面を白くしていた。  私の顔を、夏とは思えないくらいの冷たい風がひたひたと叩いてくる。  明日は星の祭典。その前夜祭である今宵、七月六日は、星ひとつ拝めそうもない。  私は階段の上を見上げる。視界の先には大きな鳥居がある。さらにその先には神社の境内があるはずだ。これまでも何度か昇ったことのあるこの階段を、私はあと少しと昇っていく。それにしてもこの階段、何段くらいあるのだろう? ちょっと小高い丘の上にあるその神社は、市内を一望できるほどの高さにある。そこへ通じる階段なのだから、それなりの段数はあってもおかしくはなかった。  すると、神社の見晴台に立つ男女二人が見えてきた。二人は空から私達を見下ろすように会話をしている。もちろん私なんか眼中に入ってないだろうけど、ようやく私はその二人の姿を、この目でしっかり捉えることができた。  やっと彼に追いついた。――そう思うと、私の足は自ずと立ち止まった。  まだ階段は昇りきれていない。けどここで、ほんの少し安心感を覚えたんだ。  今日彼を見かけたのは、美術室で筆を片付けていたその時だった。  美術室の窓からふと外を見ると、彼が駆け足で校門を出ていくのを見かけたんだ。恐らく、その前には誰かいたのかもしれない。けどそっちの方は確認できなかった。  ただなんとなく……。彼に誘われるように――  美術室の筆などはまだ全然片付け終わっていなかった。でも、ふと何かが気になって、私は慌てて彼の後を追いかけた。間に合うはずないと思ったけど、気づくと私の視界には彼の姿が入ってきたんだ。  でもその隣には、女の子がいて……。それが誰かまではよくわからなかったので、私は足の速度を遅くする。二人と距離を取りつつもその後を追っていると、この神社にたどり着いたんだ。  二人は展望台の上で、何かを話している。が、その二人の声は、私の耳までは届かない。この距離から私が今わかることは、二人が真剣な眼差しで、何かを会話をしているという事実だった。  けどそれは、高校生カップルがいちゃついているとか、決してそんな様子ではなかった。  なんの話をしているのだろう?  彼の走る姿に誘われた私は、なんで私がここにいて、そのことが気になっているのか、今改めて考えてみても何一つ思いつかなかった。なんでだろう。私がその結論を導き出そうとすると、どういうわけか糸が途切れるようにぷつんぷつんと、そこで思考が止まってしまうんだ。  だから、二人がどんな会話をしていようと、私には本来関係ないはずだった。  でも私はこうやって二人の姿を、ただなんとなく、ぼんやりと眺めていた。  …………あれ?  私はふとあることに気づき、思わずつばをのんだ。  すると私の頭の中は急回転を始めたようで、いよいよぐるぐると目が回ってきた。  なぜなら、女の子は泣いていたから。  それだけはこの距離からでも見て取れたんだ。  なんで泣いているのかはわからない。何か辛いことがあって男の子の方がただ励ましているだけかもしれない。それともその男の子が何らかの事情で女の子を泣かせたのかもしれない。でも、ここにいる私からはそれを確認する術はなかった。  だけど、その女の子の泣き顔は何故だか美しく、その女の子の泣き顔が私の胸を刺した。  痛い。冷たい……。  どろどろとしたものではなく、ただ無性な泣き声が、微かに私の耳にも聞こえてくる。  本当にそんな音がここまで聞こえてくるのだろうか。実際にはわからない。  でも、それが伝わってきたのは本当だった。  私は思わず、鞄の中からデジタルカメラを取り出す。  ……カシャ  私の一眼レフカメラは、たしかな音を立てて、その夜の二人の光景を留めた。  これでは、単なる盗撮かもしれない。私は一体何をしているのだろう?  だから私は撮ったはずの写真を一切確認もせず、慌ててカメラをまた鞄の中へ戻した。私はなぜ写真を撮ろうと思ったのかやはりわからなかったけど、なんとなく罪意識を感じて、そうしたのかもしれない。  でも本当は、そんなの嘘だ。  その目の前の光景の美しさに、私は心を奪われたからだ。  私の眼には、二人が暗闇の中に光り輝く星のように、綺麗に映っていたからだった。女の子は泣いていた。だから、二人の会話は穏やかな内容ではないかもしれない。でもそこには二人の強い想いがはっきりと浮かび上がっていて、私の胸をぐっと掴んできたんだ。  その光景は、今にも途切れてしまいそうな二人の絆が、最後に光り輝こうとしているのではないかと、私には思えたんだ。  すると間もなく、女の子は一人、泣きながら階段を駆け降りてきた。  階段の途中で私とすれ違う。女の子の長い髪から発せられる棚引いた風が、私の頬を叩いた。  彼の方は、まだその場に立ちすくんだままだった。  彼は一体何を考えているんだろう。当然私にわかるはずもなかった。  私もしばらくその場で動けなくなった。  彼と同じように……なのだろうか、やはり考え事をしている。頭がもやもやしていて、薄気味悪いくらい。  それからどれくらいその場で立ちすくんでいたのだろう?  自分でも何を考えているのかもはっきりしない、そんな夜だった。
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