七夕 〜明日美〜

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七夕 〜明日美〜

 天気が良かったせいだろうか、今日は一日ぼんやりしている。  気がつくと、あっという間に放課後になっていた。授業を全然聞いてなかったわけじゃないんだけど、授業中の先生の声はわたしの右耳から入っていき、そのまま左耳へ出ていくような、そんな一昔前に流行った漫才のようにどうしようもない一日だった気がする。  高校に入って3ヶ月ほど経つけど、こんなことやってたらわたしどんどん成績落ちちゃうね。  わたしは自分で自分を馬鹿みたいに思いながら、くすっと笑っていた。  そうだ、音楽室に行かなきゃ! ぼおっとしていると、そんないつもの日課すら曖昧なままだった。  わたしが音楽室にたどり着くと、周囲はコンクール直前ということもあり、多彩な音がいろいろ混ざり合いすぎて、もはや何がどこでどういう音を出しているのか、全然わかったもんじゃなかった。みんな必死に頑張ってる。この調子なら、地区予選も突破できるかもしれないな。……とは思いたいけど、他の学校も頑張ってるのは一緒だし、世の中そんなに甘くないよね。わたしはそんなことを考えながら、音楽準備室に入った。  わたしの今日の吹奏楽部の活動。それはコンクールに向けて猛練習!!  ……ではなく、吹奏楽部OB&OG名簿の作成。  わたしは家からこっそり持ってきていたノートPCに電源をつけて、黙々と作業を開始する。  だって、わたしはコンクールメンバーじゃないもん。  というか、一年生でコンクールメンバーなんて、本当にごく少数だ。わたしは中学の頃から吹奏楽部でテナーサックスを吹いていて、高校に入ってからも当初はテナーサックスの予定だった。だけど突然アルトサックスの人員が不足してしまったらしく、わたしはまもなくアルトサックスに持ち替えたのだ。だからわたしはただ今絶賛アルトサックスを猛練習中。……のはずなんだけど、OB名簿の作成という雑用に追われて、全然練習できてないじゃん!  吹奏楽部は女子部員ばかりのせいか、こんなふうにPCを扱える人がそんなに多くないんだ。だからって、なんでもかんでもこういう雑用をわたしに押し付けられるのも困るんだけどな〜。  ちなみに、コンクールでアルトサックスを吹くのは来年卒業を迎える三年生。本来なら受験勉強で忙しいはずなんだけど、どうしても人手が足りないから助けてもらえることになった。  コンクールが終わると間もなく3年生も引退する。アルトサックスの二年生部員がいないため、そうするとわたしがアルトサックスパートを引っ張っていかなきゃいけないんだよね、きっと。  ……吹奏楽部の花形でもあるアルトサックスが、わたしひとりしかいないとか、何をどう考えても間違ってる気がするけど!!  他の人にも手伝ってもらわないとそもそも曲として成り立たないんじゃないかな、これって。だからわたしももっと練習しないといけないはずなんだけど……。  どうしてこんなに雑用が溜まってるの〜!?? 「あのー…………?」  女の子の声が聞こえてきたのは、そんな考え事をしているときだった。 「あ、河合さん? こんなところでどうしたの?」 「昨日のことだけど……。」 「……昨日?」  河合里菜さん。わたしと同じクラスだけど、これまであまり会話したことなどなかった。一年生ながら美術部のエースと呼ばれるほど絵がうまい。……そもそもわたしの高校の美術部は悲しいくらいに部員が少なくて、もはや廃部寸前な気もしなくもないけど。でもそんな美術部だからこそ、河合さんは美術部の中でスターとも言える存在なのかもしれない。  しかも成績優秀で、見た目もすごく華やかな女の子。根暗なわたしなどは当然憧れの象徴だった。背も高く、すらっとした手足でスタイル抜群。頭の後ろにある可愛らしいリボンが特徴的で、それで長い髪を結ってある。間違えると女子大生と勘違いされるんじゃないかというほどの、綺麗な顔立ちをしている。  そんな河合さんが、わたしみたいな地味な地味子に一体何の用があるのだろう? 「あの、昨日私と神社ですれ違わなかった?」 「え、昨日? 神社?? 昨日はわたし吹奏楽部で練習してたら夜になっちゃって、神社には行かずにそのまま帰ったけど。」 「あれ? ……そう、なんだ……?」  神社って、いつもわたしが帰り道によく行く、あの神社のことかな?  でも昨日は今日みたいに雑用やってたらすっかり遅くなっちゃって、しかも雨が降りそうだったからとっとと帰ったんだ。  ……あれ? そうだよね……?  わたしはなにか、もっと大切なことを忘れている気もするけど。  すると河合さんは持っていた鞄の中から一枚の紙を取り出した。そこには何かが描かれているようだ。わたしも気になったので、それを横からちらっと眺めてみる。  あ、これってやっぱりあの神社じゃん……。 「うわー。これ、あの神社じゃない。わたしよく行くんだよ〜。すっごくよく描けてるね。」 「うん。昨晩、神社で見た光景。……なんとなく頭から離れなくて、今日はこればかり描いてた。」  昨晩……神社…………?  なぜだろう。わたしはまた、頭を殴られたような強い衝撃を受けた。今朝からこんなのばかりだよ。  わたしはそれを河合さんに悟られないように、なんとか作り笑いをして見せる。 「これ、男の子と女の子? なんか、女の子のほうがちょっと元気なさそうな感じもするけど。」 「女の子は泣いてたんだ。なぜ泣いてたのか理由はわからないけど、とにかく綺麗な泣き顔だった。」 「この二人、喧嘩でもしたのかな〜?」 「そう……かもしれないわね。」  わたしの声は徐々に小さくなっていく。なんだかよくわからないけど……怖い。  わたしは5cm程度のほとんど点でしかなかったものを指差して確認した。それをわたしはどういうわけだか、男の子と女の子だと認識してしまったんだ。しかも元気のない女の子だなんて――  河合さんの絵がそれほど優れていたせいだろうか。  ……え、ほんとにそれだけ? 「これ、うちの学校の生徒?」 「たぶん。男の子は掛川くんだと思う。女の子は誰だかわからないけど。私は春日さんだと思ってたから。」  ……………………。 「……掛川くん?」 「うん。」 「掛川くん………………って誰だっけ?」 「…………え?」  頭が痛い。でもその痛みをわたしは無意識に必死に堪えてみる。  掛川くんって…………一体誰!? 「だって春日さん、いつも掛川くんのこと『翔』って呼んでるじゃない?」 「……え、そうだっけ?」  翔…………。  なんでだろう? わたしはその名前を聞いた瞬間、涙が出そうになる。  掛川、翔……そんな名前、わたしは知らないはずなのに。 「あ、ごめん河合さん。わたし吹奏楽部のOB名簿をまとめなくちゃいけなくて、もう少し時間かかりそうなんだ。なので、神社の絵のこと、また明日聞かせてね。」 「……あ、うん。」  もう、耐えきれなかった。  これ以上河合さんと話を続けていたら、わたしは壊れてしまいそうな気がしたから。  なんでそう思ったのかわからないけど、とにかくわたしはわたしのままでいたいって――  ふと上を見上げると、たまたま視線の先に時計の針があった。  ……よかった。河合さんはなにも気づいていないようだ。 「春日さん。今日は七夕だね。」 「そうだね。今日はいい天気だから、きっと星も綺麗だよ。これ終わったら神社の展望台行ってみよっと。」  わたしは、大きく息を吸った。そして吐いた。吹奏楽の腹式呼吸の練習でもしてると思われたかな?  河合さんはわたしに笑顔を見せると、その場を去っていった。  神社か。しょっちゅう行ってるはずなのに、なんだかとても懐かしさを覚えた。  前に行ったのは、つい一昨日だった気がする。誰と行ったのか覚えてない。……え、だって、ほんの二日前のことだよ? それを覚えてないなんて、やっぱしわたしはどうかしてるよね。  こんな記憶力で、わたし高校なんて卒業できるのかな?  そうだ、今日は七夕だ。  だから星を見ながら神社に願い事すれば、きっと願いが叶うかもしれない。  高校ちゃんと卒業したいし、こんなダメダメなわたしをどうにかしたいもんね。
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