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生まれてからこのかた、家族以外から名前で呼ばれたことはない。
栗色の髪、木賊色の目、日焼けと大差はつかないもののそれでもはっきり違うと断言できてしまう褐色の肌。
ついたあだ名は・・・蔑称は「土色」。縮めてただ「土」のこともあった。軍人は嘗ての味方を悪く言うことをはばかってか、「イタ公」と呼ぶに留めていた。とにもかくにも、大日本帝国国民の顰蹙を買うには十分すぎる容姿だったのは確かだった。
髪はどうせ丸く刈るので、気にはならない。ただ目と肌だけは隠し通すことはできなかった。体に流れる血のうち、4分の3は同じ帝国国民のはずなのに、たった4分の1、伊太利からの血が混じっている。たったそれだけで、「異国民」と謗られた。
「ちゃあんとした帝国国民に生んであげられんですまんなぁ」
母の口癖のように聞いていた。帝国空軍に入ってからは、「生んで」を「生まれて」にして、方言を限りなく抑えて、上官に自分の口で何万と告げた。
普段周りの人間が使っている言葉に「このような姿で生まれて来たとしても」が枕詞としてぴったりと接着されているのも、もう当たり前になってしまった。
だから、二等兵になって宿舎が割り当てられた日、
「坂口・・・坂口、まさひろ」
と呼ばれた時、何が起こったか分からなかった。
「だったよな?」
宿舎は2人部屋だ。そして俺の名前は坂口広正だった。
「逆、です」
すっかり根についた下士官の拙い敬語が口をつく。馴れ馴れしいそいつの名前を、次は自分が思い出せないことに気がつくまで時間がかかったのも、仕方が無いことといえた。
「ああ、外人は姓と名前が逆なのか」
「ひろまさ」
「ああ、そうか、そっちか」
黒髪、黒目。士官学校では大半の生徒を見下ろしてきた俺を頭半分ほど越えるが、長身と言うよりただ大きい。
「永作栄一だ」
よく通る声が、狭い宿舎の中では更に大きく聞こえた。
「よろしくお願いします」
「おう、よろしく」
永作は俺の容姿を話題にすることなく、その日1日を終えた。同じ宿舎だから、いざこざを起こして上官に怒られたくないという下心はないように思えた。
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