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3.クライシス
希望に丸のついた紙が、示し合わせたように箱に入っている。ときに、希望の「希」の字が消されて、「熱」と書き換えられていた。
永作が、俺の後ろから紙を入れた。永作の大きな字が枠をはみ出さんばかりに書かれている。そのくせ「希望」についた丸だけは指で作った丸よりもずっと小さかった。
永作は俺の書いた紙を見ても、何も言わなかった。
「貴官らは、大日本帝国のため、玉砕の覚悟を持ち」
俺は永作の背中を見ていた。総勢200人。神風特攻隊は志願書の是非に関わらず、同期の者が全員集められた。中には腫れぼったい目を隠さない者もいた。
「大日本帝国、万歳!」
白い盃に注がれた酒は舌の奥に刺激を残し、頭に鈍い熱を連れてきた。何も言わずに永作は去った。足早に自機を目指し、俺の零戦を担当した上等工作兵にもいくらか話しかけていた。
俺達はすぐに、目的地へと向かった。
サイパン島のやや北、米軍はそこまで迫っている。発見と同時に、俺達は突撃を命じられた。多くの人間が、飛行機のまま雨のように落ちていく。それも、ただのお遊びのように、機関銃が乱射されるままに撃ち落とされる。
永作の機体も、例外ではなかった。右の翼を切り取られ、均衡を崩して海に落ちた。大きな音を立てて、永作は脆くも崩れて逝った。俺はただ見ていた。
降下のレバーが、どうしても動かなかったのだ。
すぐに、永作の仕業だと知れた。こんなことをしてくる者に、他に心当たりがなかった。
俺は残りの燃料を、この場から1里でも遠くに離れるために使った。やけに多かった燃料も、永作のせいだと断定した。永作が、俺を日本人として呼んでくれたから、俺は日本国民だった。だから死のうと思ったのに。
俺は確かに日本人だった。つい10分前まで、日本人だった。
もうこんな国なんていらない。こんな名前なんていらない。
俺は、海に不時着した自機をボート代わりにして、サイパンを目指して漕いだ。そこで俺は捕虜になった。
忌み嫌えと言われた米国人になり、フィリップスを名乗る。
日本にはあれ以来、行っていない。
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