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「私、行くわ」
このまま木偶の坊のように突っ立っていても、事態は収まらない。『迷惑をかけていい』と大家の松永は言ったけれど━━。
自分の身の回りに起きたことが原因で周囲に弊害が起きることは、やはり耐えられない。
フロアへ出ようとする砂織の面前で、マリが男前な壁ドンポーズで立ちはだかった。
「今はダメです。加織が疲れるまで、待ちましょう」
「待っていたら、お店が壊れちゃう。それに、私と彼女の問題だから」
どこにこんな気力が残っていたのかと自分に感心したくなるほどの馬鹿力で引き止めるマリをロッカールームへと押し込めると、砂織は大トリの出番を迎えた役者のようにフロアへと飛び出した。
「加織さん、私はここにいます!」
射程距離に獲物を見つけた猛獣へと姿を変え、ハツカネズミの加織は襲いかかるべく砂織へと突進……するのかと思いきや、一瞬の躊躇を見せた。
「どうした、加織?」
「砂織さんのオーラに、ビビったんじゃない?」
エキストラと化したユウキとマリが怯む加織の様子に茶々を入れる。
腹を括り待ち受ける砂織の姿は、確かに神々しかった。ホステス『サオリ』とはしてのドレスアップ効果も相まったかもしれないが、華やかな装いを差し引いたとしても、にじみ出る美しさがあった。
砂織のオーラに圧倒されつつも、負けまいと己を奮い立たせるようと小さく身震いをした加織は、威勢だけが立派な小型犬のごとく遠巻きに悪態をつき始めた。
「出たな、女狐サオリ!」
「女狐?」
「メス猫とかメス豚でなく?」
「加織、悪口のチョイスが独特……」
野次馬と化した黒服とホステスたちギャラリーがざわつく中、砂織だけが静かに加織の言葉を噛み締める。
「泥棒猫とか、女狐とか……」
芝居がかった罵り言葉のオンパレード。ネズミ男と対峙したときと同じような、怒りを通り越し、恐怖よりも憐憫に似た感情が砂織の中で沸き上がった。
「ここは、私の職場です。もうじき、お客様もいらっしゃいます。表で話し合いましょう」
「男を酔わせて、媚びて触られて……そんな場所が職場ですってぇ、いかがわしい! アーンド、いやらしい!」
「そうね。いかがわしい商売かもね。でも……」
加織の表情は、いつか見た般若のお面の様相だ。
━━けれど、怯むものか。
青いドレスの裾を羽ばたく蝶のように翻し、砂織は人生最高にキッパリとした表情と大家の松永譲りのシャウトを決めた。
「あなたのように、他人の領域に土足で上がり込むような人間は、ここには一人もいません!」
「サオリさん、遅まきながら、加勢します!」
砂織の啖呵から間髪入れず、ロッカールームのドアが全開となり。一部始終を覗き見ていたホステス全員が、堰を切ったようにフロアへとなだれ込んできたのだ。
極彩色のドレスをまとった女たちが加織をぐるりと取り囲むと、派手な女番長グループがが地味な女子を吊し上げているような絵面になってしまった。
「皆、ありがとう。けど、一旦冷静になろうか」
我に返った砂織が、同僚たちを諭していたその時。
クラブ『涼』のエントランスドアが、ギィィ……という重い軋み音を奏でながら、おもむろに開かれた。
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