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「あら、あなた……」
着物の裾を品良くさばきながら、シャンパンボトルの破片を手に呆然と立つ加織の元へ涼子は小走りで駆け寄る。
「加織って、ママの知り合い?」
「まさかぁ……」
ヒソヒソと囁き合うマリとユウキの予想は外れ、当然二人は初対面だったのだけれど。
血の気の失せた加織の両頬にそっと涼子は手を添え、大事なことを打ち明けるように耳打ちした。
「あなた、とことん男に尽くすタイプね。でも、相手にはそれが伝わらない。そして、自分とは真逆な性質の女に持って行かれる。でも大丈夫。それは、あなたの良さを分かる人に出会っていないだけ」
憑き物が落ちたかのように毒気の抜けた人相へと表情を変えた加織は、ガクリと床へ膝を落とすと同時にハラハラと大粒の涙を流し始めた。
「私、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫! ほら、そこの倒れているお兄さんも!」
床に伏したまま忘れ去られていたネズミ男の体が、ピクリと動く。涼子は軽快に指を鳴らし、舞台女優のような声量で宣言した。
「今夜は各テーブルに一本ずつ、シャンパンを開けちゃって。私のおごりで!」
魚河岸のマグロよろしく寝そべっていたネズミ男は、岸辺を跳ねるボラのように軽快に飛び起き「ゴチになります!」と現金な台詞を吐いた。
クラブ『涼』のオーナーママの本領発揮とばかりに涼子は客人たちの案内と一通りの配置を終え、呆気に取られているホステス一同を悠然と振り返った。
「レミちゃん!」
「はいぃぃっ!」
突然の名指しを受けたレミが、頓狂な声で返答する。右手に加織、左手にネズミ男を抱えた涼子は、彼らをそっくりレミに引き渡した。
「こちら二名様。テーブルへ着いて差し上げてね」
「何で、私が……」
不満げにこぼすレミを手招きすると、フィクサーそのものな含みのある表情で涼子は囁いた。
「私の右腕、レミちゃん。今後は七丁目の二号店をお任せすることになるから、今夜はよろしくね」
「レミでございます。二名様、ご案内いたします!」
「変わり身、早っ!」
ユウキとマリを始めとしたホステス一同と黒服も含めたスタッフ全員が、同時かつ盛大にツッコミを入れた瞬間だった。
開店と同時に一般客も入り始める午後七時。加織が暴れた形跡など遥か彼方の出来事だったように。
クラブ『涼』は、涼子の力で起動し始めたのだった。
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