安倍清明の転生術

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 夢の中で、幼い頃、よく通って遊んでいた名護屋の清明神社に安東要はいた。  987年(寛和3年)頃、京都の政変によって安倍晴明がこの地、尾張国狩津荘上野邑(現在の愛知県名古屋市千種区清明山1-6)に流されて在住していたらしい。数年後に京に戻ったと伝えられている。    その時、周辺の村人達がマムシの害に悩まされているのを見て、晴明がマムシ退治をしてくれたという伝説が残っている。  時は流れて、江戸時代の1778年(安永7年)に再びマムシの被害があって、その際、晴明を祀る(ほこら)を建てたら、とたんにマムシの害がなくなったという。  戦時中に陸軍の兵士が(ほこら)を移設しようして高熱になったり、戦後、県営清明山住宅の建設で(ほこら)を撤去後、二度の事故が起こるという怪異が続いた。この辺りのエピソードは関東の平将門の首塚のエピソードと似ている。  1967年(昭和32年)に県営清明山住宅完成後に、祟りを怖れた入居者達が本殿と鳥居を建てて今の晴明神社になったという。    安東要は本殿の前で思わず手を合わせて今後のことを祈った。  京都の晴明神社ほど立派ではないが、賽銭箱や提灯(ちょうちん)、石灯籠、垂れ幕などに朱色の五芒星が描かれている。安倍清明ブームのためか何とも派手な神社である。
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