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1-1.「レオン」ー帰路
夕方の冷えた風が窓から舞い込み、机上のプリントを一、二枚、ふわりと浮かせた。
窓から見える空はわずかに橙色を帯びていて、雲は白・灰色・朱色の三色に彩られている。そろそろ居酒屋の提灯がぽんと火を灯すころだ。
「レオ、飲みにいこーぜ」
上城はあくびまじりにのびをすると、俺の隣に青いトートバッグを下ろした。心なししなびて黒ずんだカバンは、教授が立ち去ったあとの教室にはぴったりの気だるげさで、くたりと横に倒れた。
「あー悪い。俺、このあと「病院」あんだよ」
「えぇ! ま、た、か、よ!」
「昨日は付き合ったろ。キューカンビだキューカンビ」
「説得力ないねぇ」
上城との間に割り込んできたのは下田だ。
かけたばかりのパーマがうっとうしいのか、頭をふったり前髪を払ったりとせわしない。
「レオ君ザルじゃん?」
「ザルでもソバでもキューカンビはいるんだよ」
「ちぇ、付き合い悪ぃなぁ」
「来週は付き合うって」
「あ、言ったな。絶対だぞ!」
「わぁってるって」
入学以来、毎週金曜日はこの三人で飲みに行く。
ほんの一時間そこらで帰ることもあれば、夜通し飲んで、近くに住んでる下田の家に泊まって酔い潰すこともある。
俺も「病院 」さえなければ毎日だって酒の席に付き合いたい。
「てかさぁ、レオの病気ってなんなん?」
歩道橋を下りる途中、下田がふと思い出したように切り出した。上城も重ねて頷く。
「一回ぶっ倒れたことあったよな。ほら、今年の四月のさ、ちょうど俺らとつるみだしたくらいのとき」
上城と下田と初めて授業が一緒になった日だった。
プリントを取りに教室の前に出た俺は、突然のめまいに、ばったりと真正面から倒れたのだ。ぴくりとも動けなくなった俺を最寄り駅まで届け、後日受け取り損ねたプリントを届けに来てくれたのもこの二人だった。
「あったな、そんなこと」
駅が近くなるにつれて、だんだんと人ごみに色がつき始めた。
自分勝手にあっちこっちをほっつき歩く学生たちの背中、屋台のたこ焼きのソースの臭い、居酒屋に誘う客引きのアルバイトの呼び声、職も年もわからない、ボサボサ頭のしかめ面で煙草をくゆらすおっさんのため息、重い足取りのサラリーマン……。
混沌とした一軍に混ざりつつ、俺は何の気なしに答えた。
「メンエキ力が弱いらしくてさ。定期的に検診しなくちゃいけないんだと」
「免疫?」
「そそ。カゼとか引いたらやばいんだよ。咳も出ないし、熱もでない」
「えぇーいいじゃんそれ」
「体が抵抗しないから、余計ひどくなるんだってさ」
「あぁー…なんかわかるかも……?」
話半分なまま、下田はひょいっとよそを見た。飲み屋が連なる商店街の方向だ。上城も同じ方を見た。頃合いと思い、俺もひらっと片手を上げる。
「そんじゃまたな」
「おぉ!」
「じゃなー」
改札を通り抜け、一度だけ振り返ると、やる気なさそうに、ぼてぼてと歩いていく二人が見えた。
だから俺も、のったりと反対方向へ歩いて行く。階段だけは意気揚々と一段飛ばしに登った。でないと電車を逃してしまう。
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