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相変わらず勇者と呼ばれる男は僕を捨てることもなく、殺すこともなく飼っている。
勇者の屋敷の使用人の蔑みのこもった目にももう慣れたし、仲間のもとに戻れるという希望もとっくに捨てた。
ただ、勇者のべったりとヘドロのように張り付く視線と、それに、まるで意味ありげに自分の体を撫でまわす手にはいまだになれない。
慣れたいとも思わなかった。
「ティル、ねえ、ティル。」
返事はしたくなかったけれど、返事をするまでひたすら僕の名前を呼び続けることを知っている。
それに、今僕の名前を呼ぶのは勇者だけだ。
「何?」
返事をすると、勇者の相貌が下がる。
それはもう見慣れた光景だった。
「リンゴをもらってきたから食べるかい?」
魔族の侵攻のため、耕作地が減っていて今はもう果物全般は高級品のはずだ。
今日も使用人が嘆いていたのを聞いていたから恐らく事実だろう。
「嗜好品を敵に与えてどうするんだ?」
思いのほか険のある言い方になってしまった。
「敵?」
きょとりと不思議そうに勇者が聞く。
「魔族と人間は敵同士だろう。」
もうずっと人間と魔族は戦い続けているのだ。
そのために生まれ、戦う勇者がそれを知らぬ筈はないのだ。
「なら、俺が魔王を倒して魔王になれば解決だね。」
そう言って笑う。
初めて勇者が恐ろしいと思った。
まるで、リンゴを手に入れるように世界を変えるという目の前の男がただただ怖かった。
「君と俺との未来のためって思えば、魔族討伐にも力が入るね。」
誰かの恨みを買うであろうことや、味方に多大な犠牲を払うことなどまるで気にならない様子だ。
もともと、そのようなことに興味がないのか、そのことに思い至っていないのかはわからない。けれど、きっとこの男はどちらであったとしても些末な事なのかもしれない。
いつもより、より一層熱のこもった手で撫でられていることはわかるのに体温が急激に下がるような錯覚を覚える。
それと同時に肌の粘膜がキリキリと痛むが、もう僕にはどうしようもなかった。
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