#1

3/10
56人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
 常識の範囲内でな、と綾樹はいたずら好きな子供のようにウインクする。  綾樹の乱れた姿など、めったに見られるものじゃない。写真に収めるべき瞬間なのに、スマホを部屋に置いていたのは失敗だ。桜井は心の中で臍を噛む。  だが次の瞬間、桜井の心は現実に引き戻された。 「……春樹も連れてきてやりたかったな。あいつに、うまいものをたくさん食わせてやりたかった」  綾樹が目を細めてぽつりとつぶやく。春樹とは、彼の弟であり、そして彼の恋人だ。  片想いに胸を焦がす桜井から、綾樹を奪ったひと。その名前が出るたび、嫉妬の針が生まれ、桜井の恋心をチクチク刺激する。  だが、この春樹の存在のおかげで、綾樹自身に心の余裕ができたのは言うまでもない。  今までは表情もなく、ゼロか1かで物事を判断する容赦ないロボットのようだったのに、春樹と付き合い始めてからというもの、彼に対する優しさと同じくらいの思いやりを周囲に持つようになり、会社の雰囲気がガラリと変わった。  ほぼトップダウンで命令を下していたものが、社長も現場に入り込み、しかも現場と密に連携を取りながら業務を回すという、全員一丸手法に切り替えたものだから、社員の気持ちが綾樹に向いた。     
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!