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突然、
「――さん」
後ろの闇から、わたしの名が聞こえました。驚いて振り返ると、夜に紛れそうなほど黒いドレスを着た女性が立っていました。白い顔だけが夜に浮かんでいるようです。
「あ、奥様。どうされたんですか」
その顔を認めたわたしは、女性に駆け寄りました。彼女は、先程までいた洋館の女主人で、今日の仕事を依頼されたお客様だったのです。ほっとしたと同時に、
「何かございましたか。わたし、何かミスでも?」
不安になって尋ねました。奥様の白い顔には、暗闇でもはっきりとわかる水滴が、頬を伝っているのが見え、わたしはさらに恐くなりました。
「奥様、涙が。まだ採取しきれていなかったのですね。ああ、なんということでしょう。やり直させてください」
わたしは胸の前で手を組み合わせ、懇願しました。
そうです。わたしの仕事は、依頼のあったお客様から涙を採取すること。今回のご依頼は、町外れの洋館で、旦那様を亡くされた奥様からのものでした。じっくりと時間をかけて採取しました。だからもう、奥様から涙が流れ落ちることはないと思っていたのです。それなのに……わたしは自分の未熟さを思い知りました。
「いいえ、そうではありません」
凛とした、奥様の声が響きました。はっとして顔を上げると、奥様はわたしの方へ一歩近づき、手を握ってくださいました。
「これは涙ではありません。雨です」
そう言って、うっすらと微笑まれたのです。
「遅くなってしまってごめんなさいね。さっき気づいたけれど、もう町へ出るバスもない時間だったのね。そして、雨に気づいたの。あなた、きっと濡れて歩いているんじゃないかと思って」
奥様は、傘を握らせてくれました。
「お使いになって。今日の涙が出来上がった時に、返してくださったらいいから」
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