中柱 樹(なかばしら いつき)の場合

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 人数は2人。  僕と同年代、10代後半から20代前半くらいの男女。  ニット帽、サングラス、無精ひげ、袖なしのジャケット、デニムパンツ、スニーカー。そして金属バット。  男は近づいてくるゾンビの頭部に向けて、何の躊躇もなくバットを振りぬき、打ち倒す。その顔には本当に心の底から楽しそうな笑顔が浮かんでいた。  男の足元に倒れたゾンビがびくりと痙攣して動きを止める。  僕はそのゾンビの姿に両親の姿を重ね、こみ上げてくる嫌悪感に酸っぱくなった口を押えた。 「どうよ? 俺ツエーだろ!」 「うん、ねぇ、もうわかったから……帰ろう?」 「バァカ杏子(きょうこ)、迎えの船は明日の朝にならねぇと来ねぇつったろ。朝9時にフェリーふ頭に行くんだ。だから今日はその辺の気に入った家に勝手に泊まんだよ」 「えぇ? 本気だったの? いやよ、怖いもん」 「怖くねぇだろうが! 俺が一晩中可愛がってやっからよ!」  下品に笑った男は、今度は太ったゾンビに目標を定めて走り出し、バットを振り回す。  不安げにそれを眺めていた女は、真っ白なブランド物のバッグからスワロフスキーで飾られた鏡を取りだし、不安を紛らわせるようにリップを塗りなおし始めた。  その一瞬、鏡越しに女と目が合う。  僕との距離はわずか1メートル。彼女は日陰になったブロック塀の陰から覗く僕の目を恐る恐る振り返り、リップと鏡をバッグにしまった。 「だ……だれ?」  少しずつ、ゆっくりと、杏子と呼ばれた女は僕から距離をとる。  その背後で突然男の悲鳴が上がり、僕はバットを持った男が複数のゾンビに囲まれ、肩から首筋にかけての肉を食いちぎられる風景を見た。  杏子は慌てて振り返り、男の状況を認識する。 「……ええぇ~? うそぉ~?」  力が抜けたように生足でその場にへたり込む杏子の声を聞いたゾンビが、何匹かのそのそと彼女の方へ向かって歩き始めるのが見えた。  それを呆然と見つめる彼女は、まったく逃げるそぶりも見せない。  不思議に思った僕は、塀の陰から声をかけた。 「キミ、殺されるよ? どうして逃げないの?」  まるでゾンビのように、杏子はゆっくりと僕の方へ目を向ける。  涙がたっぷりと溜まったつけまつげが揺れ、そこから一気に大量の涙が流れるのが見えた。
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