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「無理よぉ~。あたしバカだし、足遅いもん。ねぇ、助けて」
彼女は四つん這いになって僕に近づいてくる。
腰が抜けているのかもしれない。動物のように地面を這い、自分をバカだと断じ、運動能力も低いと公言してはばからないその姿は確かに哀れだとも言えるが、僕の心にわきあがったのは、庇護欲以上の苛立ちだった。
――人間なのに。
ただそれだけで存在を許され、日本と言う大きな枠組みで守られていると言うのに、ゾンビに成り果ててしまったかつての同胞を、好き好んで殺しに来たくせに。
ゾンビと人間の中間の存在になり、人間の世界へも戻れず、ゾンビのように本能だけで生きることもできない僕に助けを求めている。
自らの命を救おうと言う努力も放棄して、ただ他人に全てを丸投げしているこんな人間は、このままゾンビになってしまえばいいと僕は思った。
「……ねぇ、なんでも言うこときくから。お願い」
ブロック塀にたどり着いた彼女は、ブロックの穴に指を掛け、僕に懇願する。
穴から覗く彼女のカラフルなネイルは、白く細い指を引き立たせ、その向こうから僕の顔を覗く顔は、雑誌で見るモデルのように整っていた。
かすかに、甘いフローラルの香りが漂う。
そしてその香りを上回り、僕の心の奥底の「食欲」をかき乱す、人間の肉の匂い。
僕はごくりと唾を飲みこんで、慌てて立ち上がった。
塀の上から彼女の方を覗くと、座り込んでいるそのすぐ向こうに、もうゾンビが2体迫っている。
このまま放っておけば、彼女はゾンビにすぐにでも食べられてしまうだろう。
そう思った瞬間、僕は塀を回り込み、座っている彼女の手を引いて抱き上げると、躓きそうになりながらも久しぶりに地面を蹴り、人間だったころで言うと早歩きくらいの速度で走り出した。
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