序章 嚆矢濫觴

10/10

2035人が本棚に入れています
本棚に追加
/391ページ
 作品の全体像を真正面から眺められる距離まで歩み寄り、まばたきもせずに見つめつづける。まるで自分に向けられているかのようなその字を。誠二郎が隣で「おお」とか「すごい」とか呟いていたが、その声はほとんど耳に入らずにかすめていった。  子供の頃に乗った絶叫マシーンのように、一度落ちたらもう自らの力では止まれない。風がびゅんびゅんと吹き抜け、しっかり掴まっていなければ飛ばされそうな恐怖感に襲われる。それでもどうしようもなく押し寄せる興奮に呑み込まれ、腹の底から叫ばずにはいられない。ふとそんな感覚を思い出した。  その激しさが過ぎ去ったあとに訪れたじっとりとした静けさは、倦怠感と妙な達成感、そして少しの喪失感を連れてきた。それは、夫がいない間にときおりしている自慰の余韻に浸っているときの感覚に似ていた。  潤は会ったこともない書家の魂の虜になってしまったのだ。  それが、すべてのはじまりだった。 『嚆矢濫觴(こうしらんしょう)』 物事のはじまり
/391ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2035人が本棚に入れています
本棚に追加