第二章 雪泥鴻爪

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 否定の言葉を口にしかけ、潤は唇をきつく結んだ。名筆を前にして素人がそのように感じるのはおこがましいと思った。だが藤田の書と出会った瞬間のような、あの激情がどうしても湧きあがらないのだ。 「感じたままを仰ってくださいね。潤さんがそれを好きかどうかが重要なのですから」  その優しい声とまなざしは素直な感想を待っている。もしかしたら藤田はすでにこの違和感に気づいているのかもしれない。  書道の美しさは十人十色――。藤田が言っていたことを思い出し、机の上でその身を静かに晒しつづける書を見下ろしながら潤は口をひらいた。 「好みかそうでないかと訊かれたら、好みではないのかもしれません。とても冷静で、美しいけれど、美しすぎるとも思いました。だからこそ理想的といわれるのでしょうけど。私は、もっと……」  書道に関する知識をもたない自分が選ぶ言葉は、おそらくこの書を批評するのにふさわしくない。そう思い、ふたたび言い淀む。
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