第二章 雪泥鴻爪

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 確固たる意志を受け取った藤田は愉しげな含み笑いを浮かべた。そうして、残された二冊のうち潤が手にしている法帖と似たタイトルのものを選び取った。 「僕も好きですよ、顔真卿」 「がんしんけい……という人が書いたのですね」 「そう。中国の唐時代の政治家です。潤さんが見ていたのが顔勤礼碑(がんきんれいひ)、こちらは顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)。いずれも顔真卿の晩年の書で、彼が編み出した書法の特徴がよく表れています。顔法(がんぽう)と呼ばれるものです」  言いながら藤田は『顔氏家廟碑』と記された表紙をひらき、ページをめくって見せてくれた。  潤はわずかに身を寄せ、縮まった互いの顔の距離に色めき立つ心を抑えつつその書を見つめた。  大胆不敵な雰囲気を醸し出す肉太な文字が並んでいる。一見、バランスを考えず勢いにまかせて書いただけに思える特異な字形である。しかしそこには頑固なほどのたくましさと重厚さが宿り、不思議と違和感なく穏やかさが同居している。
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