第二章 雪泥鴻爪

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「若い頃は主流に近い方法で書いていたということですか。万人に受け入れられそうな」 「うん。だから多寳塔碑(たほうとうひ)は顔法入門に適した法帖といえるでしょう。真卿が伝統的な書法を学んだうえで、独自の書風を打ち立てていったのだと窺い知ることができます」 「あ、このあいだ仰っていた……書写の基礎を身につけてこその書道、ですか」  それを思い出してとっさに口にすると、満面の笑みを浮かべた顔が頷いた。 「覚えいてくれたのですね」 「もちろんです」 「ははは。真面目だなあ」 「そんな……普通です」 「真面目です」  なぜか愛おしげなまなざしとともにその言葉を繰り返した藤田は、手にしている法帖を机の上に戻しながらこう続けた。 「潤さんが顔真卿の書に惹かれたのはなぜでしょうね」  穏やかな、しかし好奇心を含んだ声。それは質問のようでも、ひとりごとのようでもあった。
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