第二章 雪泥鴻爪

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「……私には贅沢なことです。背中だけで充分です」  真情を隠して拒むと、藤田は「そうですか」と柔らかな声で答えたきりなにも言わなくなった。  しばらく沈黙に身を任せた。ふと思い立ち藤田に悟られないよう首をひねって見てみたが、その頭は俯いたままぴくりとも動かない。  また居眠りしているのだろうか。やはり疲れが溜まっているのかもしれない。その優しさがあまりに自然で気づかなかったが、本来ならこんなふうに人妻の世話を焼く暇などないくらい忙しい人なのだろう。  帰ったほうがいいのかもしれない。そう思いかすかに身じろぎした瞬間、無言を貫いていた彼の背中が一瞬こわばったように感じられた。 「潤さん」  囁きが聞こえるのとほぼ同時にその背中は離れ、男の気配がこちらを向いた。
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