第二章 雪泥鴻爪

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 今まで感じていた熱い充足感が嘘のように、全身から血の気が引いていく。同時に、自分がしていることがいかに浅はかで非現実的であるかを思い知る。急に襲ってきた絶望と羞恥に押しつぶされそうになり、潤はだらしなくひらいていた脚を合わせ、手で胸を隠しながら上体を起こした。 「……ご主人、かな」  目を伏せた藤田の口からこぼれた哀しげな呟きが、ふたりのあいだに見えない壁を築き、潤を遠くに追いやる。彼は脱ぎかけのズボンを履き直して立ち上がると、黙って潤の横を通り過ぎ、無情に唸りつづけるバッグのもとに歩み寄った。 「あ、昭俊さ……」  潤は脱ぎ散らかした服を身体に引き寄せながら、重い憂いを背負ったように見える筋肉質な背中におそるおそる声をかけた。  バッグの中の音が止んだ。ファンヒーターが温風を吐き出す音だけが残った。
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