第二章 雪泥鴻爪

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 潤はおもむろに立ち上がり、左の足首を足枷のように囲むショーツを掴んだ。右の足を通して尻まで引き上げる。秘部に張りつく湿り気に不快感を覚えながら、拾い上げたニットを胸の前で握りしめた。  バッグを見下ろし立ち尽くす後ろ姿にそっと近づく。その名を口にしようと唇をひらいたとき、広い背中越しに「僕は」と静かな声がした。 「救うことはできない。壊すことしか……」  絞り出すように発した藤田がゆっくりと振り向く。彼は翳りのある目を落とし、潤の露出した細い肩に指を這わせた。  腕を撫で下ろされれば、くすぶる生乾きの身体にふたたび火が灯る。思わず首をすくめると、彼の指はそれ以上素肌の上を滑ることなく離れた。  バッグがまた唸りはじめた。無機質な振動音が鳴り響く。 「出たほうがいい」  藤田はそう言うと、わずかに目を細めた。彼は笑みを浮かべている。たまらなく優しく、哀しい笑みを。  ふと目をそらした彼は、つい数分前まで愛欲の水音を奏でていた場所に戻り、セーターを掴み上げた。それを被って腕を通すと、振り返らずに襖を開けて出ていった。
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