第二章 雪泥鴻爪

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『潤さん』  透きとおったその声は、かすかに怒気と焦りを含んでいるように聞こえた。 「……女将」  電話の向こうにいる彼女の感情を逆撫でしないよう神妙な声を返す。しかし、どれだけ真摯な対応をしても無駄な気がした。 『帰っていないの』  語尾を極力上げない静かな問い。答えられずにいると、深いため息がひとつ聞こえ、こう続けられた。 『どこにいるかは訊きません。帰ってきなさい、今すぐに』  冷静な声は情念を隠している。その表情は怒りに歪んでいるかもしれない。  震える唇をひらいて返事をしようとしたとき、一方的に通話が切られた。  失意の底で呆然としていると、すっと襖の開く音がした。現れた藤田はその手に小さな紙袋を持っている。後ろ手で襖を閉め、歩み寄ってきた。
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