第二章 雪泥鴻爪

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 その言葉は欲望を誘っている。弱気な返答は受け付けないとでもいうような鋭い意志を隠し持って。そこにある真意は愛などではない。これは愛ではなく、破壊だ。  心の中で自戒し、俯いたまま動けずにいると、「また連絡します」という低い声が鼓膜を揺らした。  コート越しに腰を掴むあたたかな手がわずかに圧力を強める。ぞわりと襞が蠢くような感覚が腰の奥に走った。潤は思わず身体を引いてその腕から逃げ、乱れて頬をくすぐる細い髪をすばやく耳にかけた。 「潤……」  まるで理性を試すようなその声に無言を返し、潤はドアを開けて車を降りた。  雪明かりに導かれ、振り返ることなく歩く。火照った頬を冷たい空気が撫でていく。後ろから聞こえるエンジンのアイドリング音は、車がまだそこから動かないことを伝えている。姿が見えなくなるまで彼は待つつもりなのかもしれない。  ぼんやりと弱い光を落とす街灯の下で、潤は愚かな想いを抱いて立ち止まった。 ――攫ってくれたらいいのに。
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