第三章 一日千秋

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 潤はその場にしゃがむと、端に置かれた黒い大きめのクラッチバッグを手に取った。そして収納ケースの裏側に手を伸ばし、壁との隙間に隠すようにして挟み込んである冊子を抜き取った。  居間に戻り、こたつテーブルの上にバッグと冊子を置いて座布団に膝を落とす。バッグのファスナーを開けて薄い長方形をした漆塗りの箱を取り出し、ふたを開けると、仕切りの中にきちんと収まる書道用具が姿を現した。  硯、固形墨、文鎮……そこから陶器製の水滴を手に取り、立ち上がると台所に向かった。障子を開けて部屋を出るとすぐ、玄関の隣に位置する板張り床の二畳ほどの狭いスペースにある。使い勝手がよいとはいえない。  洗面台という気の利いたものがないこの住まいでは、料理だけでなく歯磨きや洗顔など水を使うときはすべて台所で済ませざるを得ない。風呂もないため母屋で借りている。東京にいた頃には想像もできなかった暮らしだが、生活が落ち着くまでの辛抱だと信じて順応してきた。  流し台で手を洗い、水滴に水を入れると、ぎしぎしと音を立てる床を踏みしめて台所をあとにした。
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