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おそらく藤田千秋であろうその男が、形のよい唇を薄くひらいた。
「野島潤さん」
電話と同じ声だ、と心の中で呟き、潤は小さく返事をした。
「どうぞ中へ」
「はい……失礼します」
促されて広い土間に足を踏み入れると、藤田が玄関の戸を閉めた。
「寒かったでしょう。申し訳ない」
「お気になさらず」
潤が仲居の仕事で鍛えられた柔らかな笑みを返すと、藤田は頭の後ろを掻きながら目尻に皺を寄せて苦笑した。
「作業に没頭してしまって音が聞こえませんでした」
「あ……もしかしてお忙しい時間でしたか」
「いや、違うんです」
「すみません。集中されているところを邪魔してしまって」
不安を口にすれば、藤田が勢いよく首を左右に振る。
「いやいや、とんでもない。悪いのはこちらです。さ、上がって」
先に下駄を脱いで家に上がった藤田に続き、潤はパンプスを脱いで式台に上がり、しゃがんで靴の向きを直した。
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