第三章 一日千秋

13/112
前へ
/391ページ
次へ
 顔法には、向勢のほかに蚕頭燕尾(さんとうえんび)といわれる特徴がある。起筆が丸く蚕の頭のようで、右払いの収筆が燕の尾のようにふたつに分かれていることからそう呼ばれる。  この起筆には、蔵鋒(ぞうほう)という用筆法が使われている。横画では右から左、縦画では下から上、と穂先を逆方向に入れてからもとの方向に戻し、穂先を線の内側に隠すように送筆する技法だ。穂先の形が表れずに丸みを帯び、沈潜した重厚な印象を与える。  だがやはり藤田の説明どおり、多寳塔碑ではその特徴はひかえめである。しかしながら、ところどころにそれらしい筆遣いが見て取れる気もする。  それを発見するたびに、藤田に連絡して詳しい書き方を尋ねたいという衝動に駆られた。彼はきっと「真面目だなあ」と優しく笑うだろう。そうして丁寧に、時間をかけて指導してくれることだろう。  『厭俗』の二文字を書き、筆を置いてひと息つく。自分の中で納得がいくと、新聞紙――美代子が気を利かせて自宅から持ってきてくれたものだ――をテーブルの上に広げた。書いたばかりの書を乾かすためそこに置いておく。
/391ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2035人が本棚に入れています
本棚に追加