第三章 一日千秋

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 ふと、背後にあるトートバッグの中で短い振動音がした。  休憩中の美代子が遊びにくるためにメッセージを送ってきたのだろうと潤は思った。義父の見舞いと食材の買い出し以外では家を出ずに書道ばかりしているので、人のいい美代子はときおり顔を見にきてくれるのだ。「私のプレゼントのせいね」と苦笑しながら。  潤は背をひねってバッグからスマートフォンを取り出した。そうして画面に表示されたショートメッセージの送り主を見て、息を止めた。  藤田千秋先生――その登録名が、あの低い声を甦らせる。 ――東京へ行きます。逢えませんか。  すぐに内容を確認したい気持ちを抑え、急に激しく打ちはじめた胸の鼓動を鎮めることに努める。  誰かからのメッセージをひらくだけのことがこれほどまで気力を要するものだっただろうか。初恋――そのような甘く淡いものとはほど遠い、恐怖と緊張感に侵された奇妙な興奮。不穏な感情を宿す胸に手のひらを押し当て、通知画面に指を滑らせた。
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