第三章 一日千秋

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 耳を撫でる、筆が紙の上を這うかすかな音。空気の流れを感じさせるそれは、胸の中を清々しく吹き抜けていく。  だが強風にはほど遠い。顔真卿の書、あるいは藤田の『潤』を目の当たりにした瞬間の、あの激しい風の揺さぶりには到底及ばない。なにもかもが足りない。強い憧れだけを頼りに、潤は迷いを跳ね除けるように筆を揮った。  最後の一画を打ち込み、筆を置く。書き終えたばかりのそれと一度目の書を見比べる。より抑揚のある線質になり、生き生きとして見える。しかしひどく感情的で、醜い字だった。 「……ふふ」  自然と口角が上がり、笑いが漏れた。悲観的な笑いではない。  潤はスマートフォンで書を写真に収めると、メッセージを添えて藤田に送った。 『できました。おかしな字でしょう?』
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