第三章 一日千秋

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 俯いて書をじっと見つめる。まばたきと同時にぼたっとこぼれ落ちた大粒の涙が、まだ乾いていない墨字に染み入り、黒々とした線をじわりと滲ませた。 「私も一緒に行きたいです」  湿る墨痕を指でなぞりながら呟くと、「うん」と静かな声が聞こえた。 「でも、行けません」  こぶしを握りしめてそう続ければ、一瞬空気が止まり、「わかりました」と固い声がした。 『あなたを困らせてしまった』 「いいえ、嬉しかったです。ありがとうございました」  返ってくるのは沈黙だけだった。  そこにある熱い気配を感じながら無音に耳を澄ませる。暗い静寂の中にたゆたう見えない繋がりをたぐり寄せたい。流れつづける時間も、自分のいる場所も忘れ、強く願う。  潤が甘いため息を漏らしたとき、電話の向こうで息を呑む気配がした。
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