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「書道教室は初めてですか」
穏やかな声に、潤は微笑を返す。
「小学生の頃、自宅近くの先生のところでお習字を。先生のお宅の雰囲気と少し似ていて、懐かしいです」
「じゃあ落ち着いて書けるかな」
「あ、ええ、そうですね」
「さっそく書いてみましょうか」
机の列を見下ろし、藤田が言った。突然の提案と愉しげな笑みを向けられ困惑する潤に、「道具を取ってきます」と言い残した彼は襖を開けて廊下に出ていった。
潤は自分が口にしたことを後悔した。習っていたならある程度は書ける、そう思われてしまったかもしれない。だが十八年のブランクはそう簡単に埋められるものではない。仮にも老舗旅館の若女将になる予定の人間が、救いようもない字でも書いてしまえば気まずくて野島家に帰れない。
バッグとコートを下ろしてほんの少しだけ逃げたい気持ちを抱きながら待っていると、藤田が戻ってきた。その手に大きさの違うふたつの桐箱と筒状に巻かれた下敷きを乗せ、脇には座布団をひとつ抱えている。
彼は最後列の隅にある机に桐箱と下敷きを置き、座布団を添えた。ファンヒーターに比較的近い場所を選んでくれたのだろうか。
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