第三章 一日千秋

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――あんたのせいでしょう! 恥かかせないで!  ふと、幼少期に聞いた理不尽に怒鳴る母の声を思い出した。そういうときの母の顔はよく覚えていない。怒声を浴びせられるときは決まって、泣かないように奥歯を噛みしめながら自分の足元をじっと睨みつけていたから。 ――私のせい。  心の奥底で、潤は自分自身を諦めた。鋭い痛みを感じていた身体も麻痺したように沈黙する。体内を激しく揺り動かす力に逆らわず、ただ身を任せた。  こわばっていた身体が脱力すると、それを合意と捉えたのか夫の腰の動きが乱暴さを増した。息もあがっている。その瞬間が迫る。早く、と願いながら潤は息を止めた。  静まり返った空間に、男の荒い息遣い、畳と肌がこすれる音、肌と肌がぶつかる乾いた音だけが存在していた。眉間の皺を深くして目をつぶる男は、まるで夢想の中で自慰に耽っているようだった。
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