第三章 一日千秋

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 玄関のほうで物音がした。はっと顔を向けると同時に開けられた戸の向こうには、誠二郎に不信感を与えた元凶が申し訳なさげに佇んでいた。  水縹色の着物を纏ったなで肩が、上品な色気とともに女の愁情を表しているようだ。 「……なぜです」  静かに尋ねれば、女は咎められていると感じたのか眉尻を下げ「ごめんなさい」と力なく言った。 「若奥様のご様子を見にきただけなのですが、家の中から男の人の怒鳴り声が聞こえて……」 「それで女将を呼んだ」 「そうです」  切実な声を吐き、まっすぐに見つめてくる女の瞳は様々な感情を語る。  同じ熱量の視線を返すことができずに誠二郎が目をそらすと、彼女はそろりと居間に上がってきた。  着物の上前をわずかに引き上げ、左手でその太ももあたりを軽く押さえつつ、右手で上前を撫で下ろしながら腰を落とし膝をつく。美しい所作で女は正座した。
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