第三章 一日千秋

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 ふと伏せられた長い睫毛の先にあるのは脱ぎ散らかされた服と、畳に作られた淫猥な染み。その意味を理解した女はその端麗な顔をかすかにこわばらせ、思い出したように鼻から空気を吸い、なにかの匂いに鼻腔を刺激されたのか口元を手で覆った。  誠二郎は今さらなんだというように尊大に構えた。ここでなにが行われていたか彼女ならすぐにわかったはずである。たった今気づいたふりをしているだけだ。  案の定、女は小さく噴き出した。涼しげに目を細め、ひかえめに「うふふ」と笑いはじめる。  誠二郎が眉をひそめて睨みつけると、彼女はすまなそうに肩をすくめ、薄い唇をひらいた。 「若奥様はお風呂でしょう。市販の墨液は落ちにくいから時間がかかりそうですね。お手伝いに行きましょうか」  やはり、と誠二郎は思った。羽織一枚で母屋へ向かう潤の頬が墨で汚れているのをこの女はこっそり物陰から見ていたに違いない。
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