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玄関を上がると、あの座敷に通された。
続き間の襖を開けた藤田は、隅にあるファンヒーターを両手で持ち、のそのそと襖の向こうに入っていく。
「こちらへどうぞ」
その声のあと、かちりと音がして奥の部屋にも明かりがついた。
一歩踏み入れてみれば、そこは八畳ほどのなにもない座敷だった。奥に見える床の間には掛軸がある。書だ。少し崩した字でわかりづらいが、『虚往実帰』と書かれている。どのような意味だろうか。
藤田がヒーターをコンセントに繋ぎ、電源を入れた。
「よかったら今夜はここで休んでください」
「あの、でも」
「ここも生徒たちのために開放している部屋ですが、今はほとんど使うことはありません。ようやく誰かのために使えます」
彼はそう言って穏やかな笑みを浮かべると、こちらに近づき襖を静かに閉めた。
空気の流れが止まった。見下ろしてくる熱の気配に、潤は思わず視線を落とす。
「じゃあ……少し待っていて」
降ってきた照れくさそうな声。顔を上げるより先に彼が背を向けたのがわかった。頭をかきながら廊下側の襖に向かい、部屋を出ていく姿をそっと見送り、潤は深い息を吐いた。
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