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優美で広々とした和室にしつらえられた床の間。そこに飾られた掛け軸と夏らしい色鮮やかな生け花が静かに見守る中、潤にとっては義両親である社長と女将から聞かされた話は、夫のもとに女将から「大事な話がある」と連絡が入ったときからひそかに予想していた事態を大きく上回っていた。
跡を継ぐ予定だった夫の兄が交通事故で急逝してから一年と半年。今年六十五になる社長はいまだ哀しみの色が残る顔をこわばらせ、『野島屋旅館』と文字の入った藍色の法被を羽織ったその肩を落とすと、畳についた膝の上でこぶしを強く握りしめ、打ち明けた。自身がスキルス性胃がんを患っていることを。
潤はもちろん、息子である誠二郎すら寝耳に水の話だった。進行度を尋ねた彼に、社長は「手術はしない」とだけ答えた。それがすべてを物語っていた。
うろたえる息子夫婦に深く頭を下げた社長は、震える声でこう言った。
「野島屋を頼む。お前たちしかいないんだ」
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