第二章 雪泥鴻爪

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 それに気づいてとっさに目を閉じた直後、わざわざ閉じなくてもよかったではないか、と昭俊は猛省した。それから目を開けるタイミングを失った。「先生」と呼びかける迷いを含んだ小さな声に気づかないふりをした。狸寝入りだ。  畳を歩く乾いた音が近くで止まり、その気配が目の前に下りてから長いこと待ったが、彼女は声をかけてこなかった。居眠りから無理やり起こすべきか逡巡しているのだろうと理解した昭俊は、仕方なく自ら目覚めることにした。  まぶたを上げるとすぐに目が合った。そこにあったのは、ひどく動揺して恥じらう女の表情だった。そこで初めて彼女に観察されていたのだと知った。  そんなことを思い起こしながら、紙から上げていた穂先をふたたび沈めて書き進める。しかし集中力を欠いた状態の線質はどうやっても緩んでおり、とうてい見れるものではなくなっていた。
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