第二章 雪泥鴻爪

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 昭俊は、筆を置いた。深くため息を吐き、畳に仰向けに倒れて視界をまぶたで覆う。  興味深い字を書く女性だった。直筆(ちょくひつ)で書かれた豊かな肉づきのある楷書は、その淑やかな外見に反して大胆で、極端で、どこか破天荒な印象すら滲み出ており、まさに気迫雄大といえた。  昭俊が“色気のある字”と評したのは、そのダイナミックな字を可憐な雰囲気をもった彼女が書いたことが妙にアンバランスで、それがかえって謎めいた魅力を引き出していると感じたからだ。  中国初唐時代の三大家として有名な、欧陽詢(おうようじゅん)虞世南(ぐせいなん)、チョ遂良(すいりょう)のように均整のとれた妍麗な書風を好む性格かと思ったが、そうでもなさそうである。彼女の書を思い返すと、それらの正統的な書法に反発した顔真卿(がんしんけい)のように力強く、剛直さを心の内に秘めた人物像が浮かぶ。  彼女はどのような書風を好み、臨書の手本とするだろうか。遮ったままの暗い視界の中で、本当にふたたび来るかどうかもわからない女を想う。  ふと思い出し、昭俊は顎に手をやった。毛のないなめらかな肌を撫で、わずかに口角を上げた。
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