第二章 雪泥鴻爪

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*  午後三時半を過ぎてすぐ、玄関のチャイムが鳴った。がらがらと重い戸を開ける音がして、「こんにちは」という聞き慣れた女性の高い声がする。 「今日は一段と早いな」  ひそかに呟いた昭俊は、書棚からいくつか選び取っていた法帖を机の上に置き、書斎をあとにした。長い廊下を突き当たりまで進み、左右に分かれた廊下を右に曲がると玄関を目指す。  土間に佇む親子が見えた。書道バッグを手から提げた小学五年生の小川綾華(おがわあやか)と、いつものように上品に着飾った母親だ。 「千秋(せんしゅう)先生、こんにちは」 「はい、こんにちは」  おとなしいが礼儀正しく挨拶する綾華に笑みを返すと、彼女の隣で頬を綻ばせた母親が「先生」と色っぽい声を出した。 「お菓子を持ってきたのですが、もしよかったら……」  恥ずかしげに言いながら、その手に持っている小さな紙袋を遠慮がちに差し出す。 「綾華と一緒に作ったんです。もうすぐクリスマスですし」 「手作りですか。わざわざすみません」 「甘いものは大丈夫ですか」 「ええ。ありがたく頂きます」
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