序章 嚆矢濫觴

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 五年生の二学期が始まった頃だった。図画工作の授業で、夏の思い出を絵に描いた。  潤が題材にしたのは、家族で行った遊園地で姉と一緒に乗った絶叫マシーン。座席のハーネスにしがみつくふたりの少女が、急降下する恐怖におののきながらも湧きあがる興奮に思わず叫び声をあげる様子を捉えたものだ。  鉛筆で描いた下描きは自分では大満足の出来だった。先生からも、人物の表情に臨場感があって素晴らしいと褒められた。しかし、色をつける工程でその評価は下げられることとなった。  黒色の濃淡を組み合わせた何本もの線を重ねて描いた下絵。それが潤の中ではほぼ完成形だったので、その線をほかの色で塗りつぶし隠すことで作品のよさが損なわれてしまうと子供ながらに思った。  結果、絵の具をたっぷりの水で薄めた弱々しい色を筆でさらりと撫でて滲ませただけの、なんとも中途半端な絵が完成した。「色を入れると残念な感じになったね」という先生のなにげない言葉は、十一歳の少女の心を容赦なく傷つけ、絵に色をつけて表現することへの苦手意識を深く植えつけた。
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